中津山 願興寺

雪の日の願興寺



中津山願興寺は、奈良時代に備前四十八ケ寺の一つとして報恩大師により創建されました。
   本尊の千手観音像は有名な天才仏師、快慶の作と伝わっています。
千手観音像は秘仏であるため普段はお姿を見ることができず、33年に一度の御開帳の時にだけ、そのお姿を拝むことができます。
(次の御開帳は平成30年です)


仁王門


願興寺の古い時代の記録は度重なる戦火によって失われ、今は謎に包まれています。
わずかに残る記録によると、かつては一帯に十有五の僧坊や三重塔、鐘楼が点在しており、釣鐘もあったのですが、一説には幕末の頃、岡山藩が大砲の材料にするために持って行ったといわれています。


本堂の天井絵(部分)


現在の本堂は江戸時代に再建されたもので、天井には仏様や動植物、妖怪、幽霊に至るまで様々な絵が鮮やかに描かれています。
本堂外陣に描かれている龍の絵は、絵がつながらないように板を少しずらしてあります。
これは、龍が夜な夜な水を飲みに近くの大鳥井池へ水を飲みに行くので、封じるためにわざと板をずらして打ちかえたところ龍は絵から抜け出さなくなったといわれています。
また、一説には板が少しずつずれて動いており、完全に絵があった時、龍が生を得て天に昇るという伝説もあります。
本尊の千手観音像は、戦国時代に兵火によって願興寺が焼失した際、不思議なちからで山を越え大内のお寺へ行って難を逃れました。
また、江戸時代に盗難にあった際には村人に乗りうつり、今は岡山の大雲寺に安置されていることを伝え、無事に帰山することができたということです。


○参考文献
『瀬戸町誌』