日置新田(ひきしんでん)



日置新田(日置池)と田原用水地図(瀬戸町誌を参考に作成)


宗堂地区と坂根地区の中間に、かつて大きな池があったことをご存知でしょうか。
その池は日置池(ひきいけ、あるいは、へけいけ)と呼ばれていました。
江戸時代に池を埋めて田に開発したそうです。
それでも開発しきれずに、大きな湿地が残っていたそうです。
その後、田原用水が開通し、完全に田となったそうです。
日置池を埋める時に、ヘケ池のヘケ太郎という巨大なまずが出てきたという伝承もあります。
これは池の主だということで片上湾に放してやろうと持っていっていると、途中で大が池(備前市)に飛び込んで逃げたそうです。
ここに大きな池があったということを忘れないように、代々言い伝えられてきたのでしょう。
そんな歴史のかなたの存在となった日置池ですが、年に一度その姿を我々の前に見せてくれるのです!


新田水がやってきた!ヤァ!ヤァ!ヤァ!(26.6.9)


というのも、日置新田には、田原用水の水をどこよりも先に流し込むからです。
新田水といって、江戸時代からの慣例なのだそうです。
日置新田だけに水が入っている様子は、かつての日置池の姿を彷彿とさせます。
まさに農業界のタイムスクープハンターや!(謎)


暮れなずむ日置新田


田原用水の中途にある日置新田に、どこよりも早く水を入れるというのはなぜなのでしょうか?
きっと、なまずのヘケ太郎の魔力のなせる業・・というのはさておき(笑)
もともと、日置新田につながる田原用水は堀であったといわれています。
日置池を開拓して田を作った当時は、この堀の水を使って田植えをしていたらしいのです。
つまり堀の水利権は日置新田にあったのです。
その後、堀を連結する形で田原用水が開通しました。
そのため、従来からの慣例で田原用水の水利権も日置新田が持ったのではないかとされています。
とはいえ、他の地区から文句も出ずにいまだに慣例が引き継がれていることは特筆ものです。
地域の人々の中に日置新田は特別だという気持ちが受け継がれているのでしょう。
そう考えると、なまずのヘケ太郎という存在は、そういった人々の気持ちが生み出した存在なのかもしれませんね。
なまずが動くと地震が起こるとか言いますし・・

○参考文献
『瀬戸町誌』