大平山石積遺構


四段構築の石積遺構を北から見る


鍛冶屋地区と赤磐市の加山地区の境界となる大平山山頂に石積が2か所残されています。
誰が何のために築いたものか、何も言い伝えられていない謎のスポットとなっています。

謎な割には、その存在は広く知られている模様です。
というのも、加山地区の皆さんが一帯の山々を整備されている中で、この石積も看板まで作って案内してくださっているからです。
山登り愛好家の方々のブログにも登場しているようです。
マニアックな瀬戸町の史跡を紹介している当HPが放っておくわけには参りません。
土地勘があまりない管理人、一念発起して大平山へ単独登頂してきました!!
ご覧になっている皆さんもぜひ謎多き山へ登ってみてください。

鍛冶屋地区から赤磐市へ抜ける尾坂峠のてっぺんから東へ向けて細い道があります。
加山地区へ通じる道です。
普通車も通れますが、ギリギリなので気をつけて。
不安になってきた管理人、少し広くなっているところへ車を停めて歩いていくことにしました。

手作り看板



加山集落からさらに東へ向かうと、道の南に地区の方が作ってくださった看板が。
山道を登っていくとだんだん傾斜がきつくなってきます。
加工跡のあるでかい石がゴロゴロしていますが、これは古代山城の石列っぽい感じが・・
吉備第三の古代山城か?その話はまた次の機会に置いておきましょう。


南から見る



先人が残したと思われる赤いテープをたよりに登っていくと、平坦地にでました。
視界に飛び込んできたのは夢にまで見た石積遺構!
案外コンパクトですがしっかりとした作りです。いい仕事しています。
ご丁寧に灯篭っぽいものまであります。
周辺は椿が自生しています。

周辺にも石列らしきものが


嘉永六年(1853)巳六月十三日と彫られています。
供養塔の類でしょうかね?とりあえず手を合わせておきましょう。


経塚遺構



高さはあまりない


その東には、こぶし大の礫が集められている一角が。
こちらはおそらく経塚でしょう。石の一つ一つに文字を書いて集め、一つの経典としているのです。

この山、かつて人々によって聖地とされていたものと思われます。
残念ながら、いわれなどがまったく伝わっていないことが、かえって人の世のはかなさを感じさせてくれますね。

○参考文献
『瀬戸町誌』