山陽鉄道赤レンガアーチ橋


明治24年築造当時そのままの姿を今に伝える



明治24年3月18日、山陽鉄道(現在のJR山陽本線)三石~岡山間が開通しました。
その開通当時に作られた、鮮やかな赤レンガ作りのアーチ橋が瀬戸駅~上道駅間に残されています。
山陽本線に並行して走る県道沿いに、瀬戸から草ヶ部にかけてその姿が見られます。
瀬戸町分では、砂川に架かる橋の東側に2ヵ所あります。
備前市三石の金剛川に架かる赤レンガ4連アーチ橋は有名ですが、瀬戸にあるこのアーチ橋も作りは同じものなのです!
山陽鉄道は最初の計画では、牛窓から西大寺を通る計画だったが、港湾業者から反対され頓挫。
和気から熊山町、山陽町を通る計画も農民から牛が驚くとか沿線の家屋に火事が起こると反対を受け頓挫。
やむなく現在のルートになったといわれています。
今では考えられない理由ですが、もし計画通りのルートであったら現在の瀬戸町は違った姿になっていたことでしょう。
ともあれ、開通時には沿線では花火を打ち上げたり、各戸に国旗を掲げたりして祝ったということです。
ただ、運賃は当時の庶民にとっては相当高額であったのでめったに乗れなかったそうです。
その後山陽鉄道は日露戦争を契機に明治39年に国有化され、明治42年に山陽線と呼ばれることになります。
山陽線になり線路の複線化が始まり、大正13年には複線化のためにこのアーチ橋南側に線路が拡張されます。

明治期のレンガ部分と後年のコンクリート部分

アーチ橋の下をくぐると、現在でも複線化に伴う工事の様子が見てとれます。
拡張された部分はコンクリート製となっていますが、元のレンガ部分はそのまま残されています。
コンクリートの部分は後年に補修されてきているのでしょうが、レンガ部分はほぼ未補修です。
明治期の技術の高さには驚かされるばかりです。

○参考文献
『瀬戸町誌』