万富東大寺瓦窯跡


当時の様子を思い浮かべる事の出来る説明板と瓦のレプリカ



大仏さまで有名な奈良東大寺。その瓦が遠く離れた岡山の万富で焼かれたということをご存知でしょうか。
万富地区の丘陵地に、万富東大寺瓦窯跡が残されています。
源平の戦で焼失した東大寺。
鎌倉時代になり、東大寺再建の機運が高まりました。
そこで東大寺再建の命を受けたのが俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)。
全国各地でその足跡が残されていますが、ここ岡山でも多くの伝承、遺跡が残されています。
そのひとつがこの窯跡です。
当時の万富地区は吉井川が蛇行して津(港)となっており、水運が盛んでした。
また良質の粘土が産出する事から土器の生産も盛んでした。
これらのことから、生産と輸送に適した万富の地に窯を築いたのだといわれています。
近くを流れる吉井川からも瓦が大量に引き揚げられたそうですので、船で瓦を輸送していたのは間違いないようです。


窯跡西側斜面。ここに南北に並んで13基もの窯が築かれていた。



説明版や石碑がある山は「大寺山」と呼ばれています。
最初、この丘陵地が国指定史跡となりました。
その後、西にある「上の山」北斜面にも窯跡が確認され、国指定史跡の範囲が拡大されました。
伝承によると、万富の阿保田神社の東、南、西にそれぞれ10基の窯があったとされています。
万富地区のどこかに、未だ未発見の窯跡が人知れず眠っている可能性もあります。


窯跡南側に建立されている石碑。



現在は窯跡自体は地中に埋まって見る事は出来ませんが、当時をイメージできる説明版や石碑が建てられています。
ぜひ現地を訪れて当時の様子に思いを馳せてみてください。


○参考文献
『瀬戸町誌』
『改修赤磐郡誌』