ヘケ池のヘケ太郎
宗堂村の日置池は、むかし南方城の日置孫一郎の領地でしたので、その名が付きました。
時代が下がって、池田の殿様が岡山藩主となりました。
殿様の家臣に、日置という家老がいましたので、それにはばかって日置池をヘケ池と呼ぶようになりました。
ヘケ池は大きな池で一度も干上がったことのない池でしたが、殿様の命令で田んぼにすることになりました。
いよいよヘケ池を壊してみると、一匹の大なまずが姿を現しました。
これはきっとヘケ池の主なので、どこかに放してやろうということになりました。
放すとなれば片上湾がよかろうと、大勢の人にかつがれて片上へと向かいました。
途中、香登の大が池にさしかかった時、大なまずが突然大声で
「俺はヘケ池のヘケ太郎だ 大が三郎いるか」
と言ったかと思うとそのまま池に飛び込んで消えてしまったそうです。
参考文献 瀬戸町誌