玉井丸山古墳


北西から望む玉井丸山古墳(手前が前方部)



環太平洋大学キャンパスの手前に、瀬戸町郷土館と創志学園セミナーハウスが建っている丘陵があります。
なんとこの丘陵、全長150mにも及ぶ巨大前方後円墳、玉井丸山古墳なのです!
すぐ前の道を、気づかずに通っている方も多いのではないでしょうか?
峠を北へひとつ超えた旧山陽町は両宮山古墳をはじめとした古墳パラダイスとなっていますが、こちら側はすっかり引き立て役。
規模からいえば史跡指定されてしかるべきと思うのですが旧瀬戸町時代ですらスルーされていたわけで・・

旧瀬戸町時代の石碑


巨大古墳のわりに、扱いがぞんざいなのは墳丘がかなり改変されているからでしょうか。
古くから寺院、玉井小学校、工場などに利用されてきたそうです。
当時の首長のお墓なのに、敬意もなにもあったものじゃありませんね。
もしかすると親しみをもたれる首長であったので、その思念が導いて地域密着型の古墳になってしまったとか?

後円部の石造物群


寺院があったということで、その名残の石造物群が後円部東斜面の一角に残されています。
「がらんさま」と呼ばれているそうです。
もともとは前方部にあったものを集めているとのことです。
昭和35年、小学校の校舎新築の際にこのあたりから火葬骨壷が発掘されました。
また、前方部運動場を拡張した際に備前焼のカメ棺が多数出土したとのことです。

後円部のいわくありげな巨石


瀬戸町誌、瀬戸町史料集によると後円部に小石室があると記されています。
探してみてもよく分かりません・・が、先ほどの石造物群の後方に明らかに石室関連と思われる石が転がっています。

瀬戸町誌より転載


ああ、なんだかこの写真に写っている天井石っぽい感じが・・。
残念ながら既に崩壊してしまっているのでしょうか。
この石室は位置的に見ると付属的なものと思われますが、中心埋葬は建物の下に未発掘のまま眠っているのでしょうか?
気になるのが、墳丘上から古墳時代の遺物はわずかな埴輪片しか採集されていない点です。
出てくるのは何故か中世の寺院関連のものばかり。
どうも、丘陵全体が墳丘なのではなく、丘陵上に小古墳があっただけなのではないかとの疑惑が浮かんできます。
現在は建物があるため発掘調査は困難でしょうが、建物改築の時などのタイミングで発掘調査をしていただきたいものです。

アクセスは超簡単。墳丘上まで車でいけます!
郷土館にも訪問してくださいね。(開館日が少ないですが・・第2・第4日曜日9時から16時まで開館)
近くの大廻・小廻山城跡も必見です。

○参考文献
『瀬戸町誌』
『瀬戸町史料集』